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山田利明 學部長 -- 東洋大學文學部學部長

 

山田利明 學部長

 

 

現任:

第二屆國際道家學術大會代表人、第一屆國學與經營管理學術大會代表人東洋大學文學部教授

 

經歷:

東洋大學文學部學部長

 

學歷:

日本大正大學文學博士  

 

山田利明學部長對於道家文化之研究堪稱翹楚,在第一屆國際道家學術大會時不辭辛勞自日本飛至台灣與會,並在大會上面發表論文「從共生學觀念看道家思想」,嚴謹的治學思想,在論文中表露無遺,該論文也收錄至「第一屆國際道家學術大會論文集」中,供後進研究者研究參考。 山田教授之著名著作有:《六朝道教儀禮の研究》等精彩文章。  

 

外部連結:

http://book.douban.com/subject/3218586/

 

 

 

共生学としての道家思想

山田利明  

<摘錄自第一屆國際道家學術大會論文集>

人類の歴史は、殆ど戦争と闘争の歴史といってよい。国家という概念が成立する以前の時代にあっても、地域の利権をめぐる争いは存在したし、民族間の抗争も存在した。国家あるいは王朝が成立してからも、こうした対立構造はより激しくなることはあっても、決して止むことはなかった。土地をめぐる争い、民族抗争、宗教戦争など、あらゆる紛争の原因は、人間自身が作った対立観念の中にある。

 

従来、共生とは「共に生きる」という意味をもって、人類全体の共生、戦争・紛争の廃絶を意図した。しかし今日的視野をもってすれば、環境論としての人類と自然との共生、福祉論としての老人と若者との共生、さらには異文化間の共生など、地球的規模での共生論が指摘されている。こうした「共生」の意味するところは、調和・共存・融和あるいは共同・協力という概念が基本的なタームとなる。

 

今回の発表では、共生の思想を構築するために、道家の思想の有効性を指摘し、道家思想を基盤とする共生の理論を提示したい。     

周知のように、道家思想の基本的観念は「無為自然」にある。意図的な行為を否定し、「道」に身を任ねるこの思想は、漢代に「黄老」の政術を生み、武帝による儒教統治まで、漢王朝の主要な統治思想となったことは有名である。劉邦の功臣曹参が黄老術によって斉国を治め、斉は九年にわたって安泰を保った。『史記』曹相国世家によれば、膠西の蓋 こう 公が教えを授けたという。

 

では、漢初に行われた黄老政術とは、一体どのような内容であったのか。『韓非子』主道篇などによれば、 君主とは虚静無為を主とする。政務は専ら臣下に委ねて、君主はその成果を見ていればよい。虚静無為を保っていれば、臣下が進言し、事を進める。「形名参同」すなわち、実績とその官職が一致しているか否かを調べ、臣下を監督する。このようにすれば、臣下はその能力を発揮し、無能力のものは退けられる。(要旨)

 

という。要するに、臣下に進言させてそれを行わせ、その成果を勘案する。その際、虚心の境地をもって監督する、というのである。韓非子は戦国末の人であるから、漢代初期の黄老術も、おそらくこれと同じ内容をもったと考えてよい。注意すべきは、この黄老術が為政者のあり方を論じたものであること。これは、臣下の意思、臣下の立場を政治に反映させようとするもので、為政者の意思が直截に反映するものではない。為政者の独裁的傾向截を臣下の意思によって防止し、一方、臣下の過誤を為政者が監督する、いわば一種の政治的共生の理論が成立する。

 

もともと道家の思想の中には、その底流に融和の思想が存在する。『老子』には、   

江海所以能為百谷王、以其善下之、故能為百谷王、是以欲上民、必以言下之、…是以聖人、處上而民不重、處前而民不害、是以天下楽推而不厭、以其不争、故天下莫能與之争。(第六十六章)

 

といい、大河や大海が百谷の王者でありうるのは、それが低きにいて、よくへりくだるから、百谷の王者たりうるのだ。だから、人の上に立うとすれば、必ず謙虚な言葉でへりくだり、人の前に立うとするときは、必ず人々のあとにつく。……聖人は誰とも争わない。したがって誰も争うものはいない。

 

王者のあり方を示したこの一句は、民との融和、融合を記すものといえる。王者自身が自らの地位を民と同等におき、民とともに存立しようとする姿は、民と融合した王者の形態であろう。しかもそのように融合した王者は、必然的に争う必要のない、また争う相手もいない状況を作ることになる。

 

『老子』のもつこのような視点は、春秋末から戦国期にかけての混乱した社会を背景とするに違いないが、その一方で、『老子』には明確な国家統合の理想像がある。それは「小国寡民」の思想である。第八十章に記された老子の理想社会は、小さな国に少い国民。さまざまな文明の利器があっても用いさせず、遠くに移住させず、文字を廃し、その土地で採れる食物を最上のものと思わせ、その地の衣服を最高のものと思わせ、住んでいる住居を満足なものと思わせて、その生活を楽しませれば、どんなに隣国に近くても、その地を離れるものはない。

 

これは価値観の転換による国家統治である。現在住む土地の食物や衣服・住居・生活を最上のものと思わせることによって、美食・華美贅沢を無価値なものと思わせる。より良いものを求める心を去り、無欲を最上とする価値観にもとづく国家である。そのためには民の知識さえ必要ではない。原始の状態を維持し続ける。そのまま理解すれば、反文明的な愚民化政策ともいえる。しかし、もう一歩踏み込んで考えると、その世界は、文明や美味・贅沢などという観念も存在しない社会、紛争・戦争という観念ももちろん存在しない。反面、不便・粗食粗衣・平和・融和という観念もない社会ということになる。

 

当然、こうした理念は、一つの架空の理論とし記されるものであって、これを実践するわけではない。ただ、様々な条件のもとにある多くの国家・社会についていえば、あらゆる条件を超越した、換言すれば全ての対立概念が存在しない文明社会をユートピアとする。  

<未完>

請參考共生学としての道家思想一文

 

 


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